私は瞑想が好きです。 瞑想はいいよ、という記事をちょいちょい書いているわけですが、なかなか瞑想はどんなもので、こういう効果があって、ということを陳腐な感じがしないように伝えるのは難しいです。
私にとっては、瞑想って、語ることのできないもの、言葉にならないものなので、あんまり言葉を尽くさないほうが良いのかなと思う反面、可能性のある説明を探していたりもします。
さて、「瞑想」と「引き寄せの法則」というトピックを思いついたのですが、その比較に入る前に、「瞑想」と「スピリチュアル」と「セラピー」について考えてみたいと思います。
瞑想やってみたい!という人は「スピリチュアル」とか「セラピー」とかをかじってる人が多いんですよね。 そういった人たちにより、「瞑想」と「スピリチュアル」と「セラピー」がごっちゃになっていて、もともと分かりにくいものが余計にカオスになってしまっているように感じます。
だから、「瞑想」と「スピリチュアル」と「セラピー」の違いを論じることで、瞑想を理解してもらう一助になればと思う次第です。
photo credit: Brenda Cooper via photopin cc
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「スピリチュアル」とは
日本でスピリチュアルといえば、やっぱりこれでしょう
「オーラの泉」面白かったですよね。美輪さんも江原さんも国分さんもキャラが濃くて、前世がどうとか言われると、真偽はともかくなんだかワクワクしたものです。他人事なのに(笑)。
こういう、目に見えない世界=スピリットの世界を扱うものをまとめて言うのが日本の「スピリチュアル」だと思います。(欧米だと、Spiritualって、なんだかもっと「キリスト教的」なニュアンスが含まれます)
私は、オーラとか、クリスタルのエネルギーとか、チャネリングとか、そういう90年代以前の「ムー」の世界みたいな「ニューエイジ」が、2000年代になって進化したのが「スピリチュアル」なのではないかと思っています。
「スピリチュアル」界隈で最近一番のヒットコンテンツ「ザ・シークレット」
「スピリチュアル」界隈で最近一番ヒットしているのがロンダ・バーンの「ザ・シークレット」です。
「自分の欲しいものを望み、引き寄せる」方法、法則が語られている本です。最近のスピリチュアルの価値観の中心はこれです。
「セラピー」とは
セラピーは、同じく目に見えないことも扱いますが、もっと「心」「無意識」「身体(とブロック)」といった人間そのものを扱い、「癒す」ものです。
「セラピー」の方法論として、「スピリチュアル」なものが使われることもあります。(クリスタルを体の上に置いて、そのエネルギーで意識を癒す、レイキでからだを癒すなど)
「セラピー」は1960年代アメリカで始まった「ヒューマンポテンシャル(人間の可能性)」運動という精神や心理について探究するブームがルーツです。 当時はビートルズなど、最先端の人たちが「プライマルセラピー」などの心理セラピーを受けていました。
そのあたりについては、この本がすんごい詳しいのですが、絶版なので、図書館などで読まれると良いと思います。面白いです。
セラピーのトレンド
前述しましたが、最近のトレンドは「ザ・シークレット」=「自分の欲しいものを望み、引き寄せる」ということです。
この方法、法則がうまく発動するように脳や体や感情を操作したり、流れを邪魔しているものや思い込みがあればそれをどかしたりする、という「セラピー」もトレンドになっています。
また、「ザ・シークレット」の亜流として、「自分らしく生きる」「なりたい自分になる」「富を得る」「愛される」ための何らかの法則ややり方を自ら考案して、そのためのオリジナルの「セラピー」を作っている人たちもたくさんいます。部屋を掃除するとか、性エネルギーを意識するとか、確かに効果があるものもありそう。
瞑想とは
瞑想は意識の世界に降りていくこと
現代人はつねに「思考」に支配されて生きています。その昔の人たちは、もっと「からだ」に支配されていたかもしれません。
瞑想は意識の世界を探求することです。スピリチュアルやセラピーは人間の「外側」にあるものを扱いますが、意識は人間の「内側」にあって、思考や身体を「観察している感覚」です。
この感覚は脳の中にあるとも言えますが、それだけで説明できるものでもない感じです。 「観察している感覚」を呼び覚ますために、いろんな瞑想の技法が考えられてきました。この「観察している感覚」の中にいると、人はクールダウンし、未来や過去に煩わされずにいま・ここを体験できるのです。
瞑想は、実はスピリチュアルやセラピーとは関係がありません。
瞑想をしていると「目に見えない世界」に親しみがわくし、「目に見えない世界」に親しみを感じている人は、瞑想に興味を抱きます。
そして、繰り返ししつこく現れる心のパターンを「セラピー」で癒すと、より意識がはっきりとしてきて、瞑想に深く入れるようになる、ということは考えられます。
でも、瞑想はスピリチュアルやセラピーと関係がないし、瞑想を始めるとそういったことから興味が離れていく人もいます。
「自分らしく生きる」「なりたい自分になる」「富を得る」「愛される」ことにつながる・・・といった、現代の「スピリチュアル」や「セラピー」のトレンドを瞑想を通じて意識すると、それが自分に緊張感をもたらしていることが分かることがあるからです。
瞑想とスピリチュアルとセラピーにまつわる混乱
混乱していた私
瞑想とスピリチュアルとセラピーについて、その人なりに整理して理解できていないと、人は混乱します。特に他の二つより、「瞑想」を理解することができません。
私がそうでした。 人は目標を達成し、自分の望みどおりに生きるのが一番、だから、そのためのことは何でも知りたいと思っていました。
そのために、目に見えない世界を知るおまじないのようなものとして、瞑想のことを考えていました。(スピリチュアルや、セラピーの界隈で、瞑想のことを、そういう風に語る人は時々います)
でもある日、初めて、本当に瞑想のことを書いてある本を手に取って知りました。私の「望み」が、私を緊張させて、私の人生を流れなくしている、ということを。それでいて、「欲望を消して、素晴らしい人になりたい」なんていうトリッキーな欲望までありました・・・
その時は、ある意味究極に何もかもが上手くいっていない時期でした。 だから、どうやって好きなものを引き寄せるかということを考えていました。
でも、それが間違いで、「瞑想」をした方がいい、とそのとき、なんだか本能的に分かりました。私は本当にショックを受け、そこから、瞑想を本当に知りたいと思うようになったのです。
瞑想はスピリチュアルとセラピーを否定するの?
では、瞑想はスピリチュアルやセラピーを否定するのかというと、そういうわけではありません。 ただ、瞑想は現代のスピリチュアルやセラピーの世界のトレンドである「いまここ」にないものを欲望して、引き付けようとすること、とはあまり親和性がないのです。
でも、瞑想は人をシンプルにするので、もしあなたがスピリチュアルな世界やセラピーが本当に好きなら、瞑想しても、それはあなたの手の中に残ると思います。
何が好きで何が嫌いで、何が人生のプライオリティなのか、瞑想でクールダウンした意識は徐々に光を当てていくのです。