インド・ゴアのガイド|パーティとニューエイジとアラビア海と
2015年の渡印で、8年ぶりにゴアに滞在することができました。思えば私のインド通いは2004年2月、ゴアへの旅をきっかけに始まったのでした。 ゴアと(トランス)パーティ、外国人の集まる北部ビーチエリア(アンジュナビーチ、チャポラ村、アランボルビーチ)界隈のいまとむかしについて書いてみようと思います。いろんなことが変わっていたけど、アラビア海に沈む夕日は変わりませんでした…
このページの目次
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インド、ゴアとはどんなところ?
ゴアはアラビア海に面したインド西部に位置する、インドの中では小さめの州です。 インドでありながらインドでない、などと例えられることもあるようで、ゴア以外の地域のインド人にとってもエキゾチックなリゾートでもあります。ゴアで結婚式を挙げるインド人カップルも多いそうです。日本でいうと昔の宮崎とか南紀白浜とか、今の沖縄みたいな感じでしょうか。
ゴアはポルトガルの植民地だった
インドはイギリスの植民地時代を経て独立した国です。しかし、インド全土がイギリスの統治下にあったわけではなく、いくつか飛び地のように別の国に統治されていた土地があります。ゴア州もその一つで、かつては州全体がポルトガルの植民地でした。そのため、ゴアの文化はポルトガル文化の強い影響を受けています。地元の人々のメインの宗教はキリスト教(カソリック)です。彼らはポルトガル語に影響を受けた”コンカニ語”という方言を話します。 ※インドではクリスチャンはマイノリティで、インドの人口の約8割がヒンズー教徒です。また、非ヒンズーの人々もヒンズー教文化の強い影響下にあります。
ゴアと宣教師フランシスコ・ザビエル
日本にキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルの遺体は、このゴアに安置されています。 彼の遺体ははなぜか腐ることなくミイラ化しており、10年に1度公開されます。
ゴアとゴアトランス
ゴアはインド亜大陸の西側、アラビア海に面した海のある州であり、ビーチエリアが観光客に人気です。特に北部ビーチは1970年代にヒッピーが多く集った土地で、その後も外国人観光客が多く集まるようになりました。1990年代に「ゴアトランス」というトランスミュージックの1ジャンルがこの北部ビーチ界隈で生まれたことでも有名です。
ゴアの気候とシーズン
ゴアのハイシーズンは11月〜2月。それ以外はビーチはかなり閑散としています。
ゴアへのアクセス
ゴアへはインド主要都市からバスや電車、飛行機で行くことができます。
ゴアへ飛行機で行く
首都パナジから30kmほどの場所にダボリム空港があります。インド国内主要空港はもちろん、ヨーロッパからの直行便も到着します。一番近い大都市はムンバイです。あらかじめ国内線を手配しておけば、日本から直行することも可能です。
ただし、ダボリム空港は北部ビーチのエリアからは結構時間がかかり、アランボルビーチからは60kmほどあります。
ゴアへバスで行く
主要都市からゴアへバスが発着しています。ムンバイ、プネーからはスリーパー(寝台バス)で一晩で北部ビーチ近くのマプサに着きます。私は2015年はプネーからスリーパーバスで行きました。特に問題はなかったのですが、バスの到着はめちゃくちゃ遅いし、バスにトイレがついていないのはもちろん、なかなか寝ないでしゃべってるインド人に黙れと言ったりといった感じの一夜を過ごしました。
インドのバス旅行でのトイレは心細いものです。むかしゴアからバスで旅立つ友人(男)に別の友人(女)が夜用の生理用ナプキンをあげていたり、なんて思い出があります。そういった旅行が楽しく思えない人はバスは避けた方が良いと思います。
ゴアへ電車で行く
こちらもインド主要都市からMadgaonとThivimという駅に列車が到着します。Madgaonはマルガオという町に隣接する駅で、ゴア南部方面にアクセスしやすい場所に位置しています。
それに対し、Thivimは州首都のパナジ、またはヒッピーな雰囲気の味わえる北部ビーチ方面にアクセスしやすい駅です。Thivimからアンジュナまで20km、アランボルまで30kmくらいです。駅から各ビーチまではプリペイドタクシーを利用すれば、値段交渉の煩わしさがありません。 一番近い大都市、ムンバイとMadgaon、Thivimは電車で一晩の距離です。私は2007年にスリーパー、AC付きの電車に乗りましたが、バスより快適だった印象です。チャイ売りやお弁当売りがやってきたのも面白かったです。
ゴアの観光スポット
ゴアを一つの通過点としてさらっと旅行を続けたいという人は北部ビーチに行かないでオールドゴアと呼ばれるエリアでさらっと観光をしてゴアを去るのが良いと思います。ゴアの北部ビーチは立ち去り難く、長期滞在している人が非常に多いので、先を急ぐ人には向かないエリアです。
オールドゴア・エリア
フランシスコ・ザビエルの遺体の安置されている教会「ボム・ジーザス教会」は「オールドゴア」というエリアにあります。
地図で見ていただくと分かりますが、北部ビーチとこのエリアは少し距離があります。オールドゴア観光をする場合は、パナジでホテルを手配しておくのをおすすめします。 パナジには美味しいシーフードレストランやちょっと雰囲気の良い川沿いのカフェがあったりします。
元祖ゴア名物、アンジュナビーチのウェンズデーフリーマーケット
北部ビーチを少しだけ観光したい、雰囲気を味わいたいという方は、ウェンズデーフリーマーケットをのぞいてみると良いと思います。
名前のとおり、水曜日に開催されるフリーマーケットです。長期滞在者や地元の人がお店を出しています。値切ったり店の人とおしゃべりしたりも楽しいです。
新ゴア名物?サタデーナイトマーケット
サタデーナイトマーケットもにぎやかで楽しいです。土曜日に開催され、場所はアルポラの近くの山の中です。ゴアの道は舗装が進んでいて、インドの中では比較的快適だと思いますが、夜バイクで行く場合は気をつけて。土曜日にはもちろん吹っかけられますが、バイクの運転が不安な人はタクシやリクシャーに乗ったほうが賢明でしょう。
アランボールビーチのサンセットマーケット
アランボールビーチでは、ハイシーズン(11月〜3月頃)の夕日の時刻には長期滞在者が毎日露店を出しています。ドラムサークルや、バスキングをしている人々もいます。これは2004年・2007年にはなかった光景でした。
ゴア北部ビーチエリアはビーチごとにキャラクターが違う
北部ビーチはビーチごとにキャラクターがあります。 アンジュナビーチ、チャポラ村はパーティ好き向け、アランボルビーチはニューエイジでヒッピーな雰囲気で、ヨガなどのアクティビティを楽しみたい人向け という感じです。このアンジュナ、アランボル以外のビーチは、比較的人も少なくてのんびりしています。
アンジュナ・チャポラ近辺のおすすめスポット
かつては何もない野原やジャングルの中で行われていたパーティも、今はクラブで開催されるようになりました。ゴアのクラブは半野外なので、それなりに昔の雰囲気は残っています。クラブで開催されるようになってから、パーティは広く告知されるようになり、情報交換は簡単になりました。皆スマホを持っていて、Facebookなどで情報が入手できるようになったことも、昔とは大違いだと思います。しかし今でもパーティフリークはチャポラ、アンジュナに集まっているため、パーティ狙いの旅人はこのエリアで滞在するのが便利でしょう。
Curlies
Curlies(カーリース)は、いつでもトランスがかかってる(※最近はかかっていないこともあるらしい…)クラブ&カフェ。パーティー情報を探すならここ。
Hill top night club
チャポラ・バガトールの近くのクラブ。レイブトラベラーに登場したパーティ会場「ヒルトップ」とは別物(場所としては近く)。2007年にはすでにありました。
Scarlet Juice Center
チャポラ村の「スカーレット」はフルーツ&ジューススタンド。隣の「Ganesh」の方が出世気味ですが、90年代からパーティフリークが通っている有名なお店です。フルーツサラダにアイスクリームをのせたものが名物。
Parvati Record
チャポラには、トランスレーベル「パルバティ・レコード」のフラッグショップ的なお店があります。 ちょっとした日本食を提供しています。
Zooris
アンジュナのサンセットの名所の崖の近くのカフェ。景色が最高。フルーツシェイクが美味しいです。
アランボルのおすすめスポット
アランボルビーチはニューエイジ好き、ヒッピーな感じの西洋人が多く、ヨガやマッサージ、カードリーディングやボディワークセッションなどの張り紙がそこらじゅうにあります。
プネーのOSHOメディテーションリゾートに来ていた人ともよく遭遇しました。OSHOの滞在費はインドにしてはかなり高くつくので、長く旅を続けたい人はプネーだけに滞在せず、ゴアやリシケシに移動するようです。
Love Temple
Love Templeでは、タントラやヨガのワークショップが数多く行われています。 食事、宿泊もできます。
Magic Park
Magic Parkはアランボルのニューエイジな人々のたまり場。美味しいベジタリアン料理カフェで、ライブミュージックの楽しめる場所もあります。
ゴアとパーティーのヒストリー
70年代から外国人によるパーティが行われていたゴアは70年代ヒッピーのたまり場として有名で、そのころからライブミュージックのパーティーが行われていました。 70年代からゴアを拠点とし、ヒッピーからトランスDJとなったゴアギルのHPでは、フォトギャラリーに貴重な写真がたくさん載っています。
私がゴアに行ったきっかけを作った本
私が2004年にインドに初めて行くことになった大きなきっかけのひとつは、この本との出会いでした。
レイブトラベラー「レイブトラベラー 踊る旅人」は、作家でDJの清野栄一さん(代々木公園などで開催していた野外パーティー「バレアリックサンライズ」主宰)が 94年頃のゴアの様子を丁寧に描写した小説です。
現在は古書かKindle版でのみ入手可能です。 この本が沢山のクラバーをバックパッカーに変え、インドへと向かわせ、さらには世界のビッグパーティめぐりをするパーティートラベラーを生んだのだと言われています。
今でも夏になると売れているんだそうな。私もゴア行きを決めてからワクワクしながら何度も読み返したものでした。
日本のパーティートラベラーたち
レイブパーティーは90年代に日本に入ってきて、なんだかんだ00年代まではさかんでした。
今はパーティといえばEDMばっかりですが、2015年になって2007年に活動休止したSolstice Music Festivalが復活したことを始め、再ブームの兆しが見られますね。 清野栄一さんの「レイブトラベラー」以後、レイブパーティをめぐる自分の体験を発信する人が現れました。
高城剛さんもよく「皆既日食パーティ」に行ってましたね。
2004年シーズンのゴアのパーティ
2004年のアンジュナでは、パーティといえばフリーパーティ、お客はイスラエリーとヨーロピアン中心でした。 パーティーはとにかく口コミ。道行く人と情報交換する様子は、レイブトラベラーの描写そのままでした。
口コミであーだこーだとパーティを探すのはまるでロールプレイングゲームみたいな面白さがありました。 私は当時はアンジュナに宿を置き、モルジム、アランボルビーチへバイクで遊びに行ったりしていました。
他のビーチは、モルジムはバンガローがぽつぽつあるだけ、アランボールは集まる人の年齢層も高めで、のんびりした雰囲気でした。
2007年シーズンのゴアのパーティ
この年は1週間アンジュナ、1週間チャポラにいました。 だんだんその辺の山の中でゲリラ的に開催するパーティが減っており、フライヤーをもらってクラブに行く、というパーティが増えてきていました。
そして、中国、韓国からバックパッカーが街中に増えていました。とはいえ、パーティーで見かける東アジア人はほぼ日本人だけ(これは2015年も変わらず)でした。ロシアンがすごく増えて、ロシア語のメニューを置くレストランもぽつぽつと出てきていました。
また、音もそれまでのイスラエル人アーティストのサイケデリックトランスから、ダークサイケデリックトランス中心になっていました。
それまでのサイケデリックトランスがエスニックな音階でメロディアスに盛り上げていく作りだったのに対し、ダークサイケデリックトランスは、ゴシックな感じのモチーフやSEを多用したダークな音でした。
なぜかロシア人はダークサイケデリックトランスが好きで、ダークサイケデリックのアーティストも多く、しかもなぜか日本人と仲良くしていた印象です。 ゴアのダークサイケデリックシーンを牽引していたレーベル、ディスコバレーレコードもパルバティレコードも当時は日本人との関わりが深かったように思います。
2007年にもアランボルビーチに行きましたが、当時は今よりのんびりした雰囲気が印象的でした。集まる人々は、当時からDJよりもライブミュージック、って感じのヒッピー系な人たちでした。
2015年のゴアとパーティ
2007年くらいから、ゴアの雰囲気は変わった、つまらなくなったと時々耳にするようになりました。
2012年の渡印の際には滞在期間が短かったこともあり、ゴアには立ち寄りませんでした。
2015年、パーティーは昔より人がずっと多く、内容も豪華になっていました。音は、ダークもサイケデリックもバランスよくイベントが開催されているようでした。
パーティで会った日本人は、パーティーのためにゴアを目掛けて来ている人も、バックパック旅の途中に立ち寄った人も両方いました。 しかし、パーティー自体の雰囲気は昔とはがらっと変わってしまっていました。
2015年はインド人が7~8割、会場は満員!という状態。インド人も外国人も、トランスが好きな人というよりはただ騒ぎたい!という人たちが半分以上、という感じ。しかし、以前と何も変わらない、ゴアのパーティ独特のクレイジーさは、まだまだ力強くそこにある感じがしました。
2010s後半は、ゴアトランスリバイバルの流れ?
2015年、こんな本が出ました
どうやら、最近はEDMのビッグパーティでもテクノやサイケデリックステージがあり、ゴア(サイケデリック)トランスは何度目かのリバイバルになっているようです。